看護師になるまで 准看護学校編
看護師になりたい、と思ったら
社会人から看護師になるための方法 奨学金もチェックして
看護師へのなり方、いろいろなルートがあります。
日本看護協会ホームページから 看護職を目指す方へ
https://www.nurse-center.net/nccs/scontents/school/index.htm
社会人が働きながら勉強して看護の仕事が可能なのが、
准看護師になってから、看護師を目指す道。
准看護師は、都道府県知事の免許を受けて働く看護職のことです。
准看護師養成学校で2年間勉強する必要があります。
その後、都道府県知事試験を受けて合格すれば免許が交付されます。
仕事内容は、看護師とほぼ同じです。
ただし、就職先が限られてしまうのがデメリット。
給料も看護師よりは低めです。
現在、数は少ないのですが
准看護師になる道はまだかろうじて残っています。
准看護師を養成学校は、全国的にどんどん数が減っています。
その反面
准看護師として経験を積めば、
実務経験7年で通信教育での学習で看護師免許取得をめざせます。
以前の私のように
働きながら看護師の仕事を目指している人がいるなら
この記事がお役になりますように。。
バイトと学業という二足のわらじを履く生活は
体力的にも精神的にもハードです。
そこで各種給付金や奨学金のたぐいをいろいろ探すとよいです。
例えば、
一定期間社会人だった人は雇用保険を利用して学業に専念できる制度があります。
https://www.hellowork.go.jp/insurance/insurance_education.html
他にも各種奨学金があるので、ネットで探してみるといいです。
准看護師学校は、ほぼ高卒と同等の学力なら余裕で合格できると思います。
面接や小論文がとても重要視されるので、
対策をきちんとしておきましょう。
過去問が学校で配布されていることが多いです。
看護専門学校・看護大学では、
学費が安ければ安いほど、学力が高いです。
ただ、どんな看護学校や大学などでも
国家試験の合格率は90%以上となっています。
入学後、学習ペースにのれれば、
どの看護学校でも国家試験に合格するはずです。
准看護師学校を卒業後の進路は、こんな感じです。
訪問看護のマダムとの出会いがきっかけ
私の看護師になりたいと思ったきっかけは家族の介護経験からです。
祖母を家族みんなで数年間介護しているうちに
とってもおおらかで明るい看護師マダムと出会いがきっかけになりました。
うちでは週一回の訪問看護で認知症ありの祖母の入浴介助を頼んでいました。
ある日、そこに現れた明るい看護師マダム!
祖母がわけもわからず恥ずかしがってなのか手をあげようとしても、
絶妙なタイミングで手をかわし、
なんとなーくほんわか優しくタッチングして、
「ああ、○○さん、今日も元気♪」
「調子いいですね。今日も○○さん、お風呂に入りましょう!」
などと声をかけているうちに、祖母も入浴する気分に変わっていきます。
血圧と体温測って、てきばきと仕事している姿も、なんだか素敵。。
ああ、看護師さんって病院以外にこういうところで働けて、楽しそう。
と密かに思ったものです。
しかし、当時の私は家のこともろくすっぽやらないずぼらな女。
人の世話より自分の世話もできない状態だったのです。。
「いきなり准看護学校へ行っても、あんたはやっていけるはずないじゃない」
「早まるな、いちおうよく考える時間を持ちなさい」
と、親からは適性がないと思われていたようです。
看護師になるのをやめるように説得されました。
看護助手をしながら 准看護学校受験準備
そこで、決意が固いうちにまずは行動あるのみ、と当時の私は思いました。
リサーチがてら近所にあった小さな病院に「看護助手」として就職しました。
そこで、看護師さんがどうやって働いているのか様子がみれました。
私の他にも数人の「准看護学生候補」が看護助手として働いていて、
おおよそ同じような年代だったです。
仕事は外来でのカルテ出しからはじまって、
徐々に患者さんを車いすで移動するお手伝いやシーツ交換などを任されました。
看護師さんがやる必要のない雑用をするのが、看護助手というお仕事でした。
その病院には、立派なマンションが寮として使われていました。
地方からきた女子が看護師を目指して、懸命に働きながら勉強していました。
私は近所だったので、通いで看護助手の仕事をしながら、准看護学校を受験。
見事1度の挑戦で合格することができました。
准看護学校と病院の二足のわらじをはく毎日
私の同級生は1クラス40名ほど。
グループは、
現役高卒組(推薦入試の割合多し)
社会人組(多分、看護師専門学校不合格の人も含まれる。仮面浪人者がいた)
ちょっと年齢高め組(このグループ、実力者ぞろいの一般入試組多し)
と、はじめはきっかり分かれていました。
私が学校で仲良くなったのは高校卒業したばかりの女の子2人、どらみちゃん(仮名)とおやっさん(仮名)でした。
ちょっと年下の友達でしたが、二人とも精神的に大人でお互い色々助けあって過ごしました。
2人ともそれぞれ違う精神科の病院に勤めており、
なかなかに「昭和」な環境で頑張って働いていました。
更衣室はボロボロ、寮の部屋は4人でシェアは当たり前、土日は学校がないのですが夜勤が入っている、休日はほとんど存在しない生活、などときいて驚いたものです。
私の病院の仕事も肉体的にハードでしたが、二人は想像を超える生活をサバイブしていました。
それにひきかえ、私は恥ずかしながら都内在住の利点を享受しながら学生生活を送ることができました。
なにせ家に帰れば、母がご飯を作ってけなげに待っているんです。
早朝からお昼までは病院で看護助手の仕事、
お昼ご飯を食べたら学校で勉強とあわただしい生活も、
家族の支えもあって何とか耐えました。
授業は睡眠学習の時もあったような気がしますが、もう遠い昔なので忘れたかも(笑)
准看護学校の学費
当時は2年間で50万という格安な学費でした。
月に25000円の月謝と就学旅行積立金を数千円ずつ給与から天引きで支払いながら、クリスマス会でお菓子をむさぼり、就学旅行で成人の学生はお酒をかっくらいながら、それなりに勉強をし、実習をこなしていきました。
ちょっと衝撃的だったのは、病院実習前のガイダンスで子持ち学生や既婚学生向けに「女子は妊娠したら実習行けないから覚悟するように。留年だからね。」という説明がありました。ま、色々な前例があったんでしょう。
看護学校の先生も大変です。
それから2年生になる前に仮面浪人が数名看護学校に合格し、退学していきました。。
この時は、仮面浪人っていう手があったか!と本当にびっくりでしたが、
人間やればできるって人もいると知りました。
そんな中、准看護師試験の対策をしながら、
残っていた実習をこなし、
受験進学コースの試験勉強をした最後の半年が一番大変でした。
ちょっと燃え尽きかけながら、いやいや勉強していました。
准看護学校からの進学状況もチェックしておくこと
結局、当時通っていた学校で
看護師になるための「2年過程」の専門学校にすぐ進学した学生は
半分もいなかったです。
進学コースという選択の際、
都立の某看護学校の面接では女子はよーく覚悟して進学してね、
という趣旨の圧迫気味の面接官が複数名いらっしゃいました。
「あなた、ご結婚はどうなさるの?」
と結構ストレートに聞かれてひるみつつ、
「看護の道を一生の仕事と思っていますので、今は考えていません」
などと答えていました。。(汗)
続く。。